昭和26年10月群馬在住の画家19人により、郷土に根ざし、しかもわれわれ自身の手による美術活動を持ちたいとねがい、川隅路之助、遠藤サン果らを中心に群馬美術家連盟を結成する。
同年12月、前橋市教育会館において連盟展と銘打って第一回公募展を開催、当時は日本画、洋画二部門であり、主義主張にとらわれず各流派を包含し、清新で意欲的な作品の発表の場とすべく、有料入場で発足した。
創立会員には、川隅、遠藤のほかオノサトトシノブ、深谷徹、福田貂太郎、住谷盤根、簔輪初太郎らの名があり、成田一方、小見辰男など群馬画壇はもとより中央画壇で活躍する有力な画家も参画していた。
また発足に際しては「後援資金を寄せられた吉沢惟雄氏、展覧会場設営のために資材を全部寄贈された佐田建設社長の佐田一郎氏、設営の一切を引き受けてくれた渡辺工務店社長の渡辺竹男氏、また陰に陽に連盟の発展に協力してくれた庭山政次氏など、これらの人達の力添えなくして連盟展の旗あげと今日の発展は考えられなかったかもしれない」(昭和60年川隅談)と言われるように、多くの有識者の後ろ盾と創立会員の限りない熱意によって発足したのである。
第二回展では実用美術部門を新設、第四回展(昭和29年)では漫画家近忠の参画を得て漫画部門を新設、第八回展(昭和33年)では建築家青木栄、小田島勝治により建築部門を新設する。この頃になると斉藤始雄、石野安親、櫛田弘義のほか出品の点数、大きさ制限なしの主旨に共鳴する若き才能ある作家が次々加わる。その後十周年を迎えた連盟は前橋祭りの協賛の意もあり、前夜祭として会員や出品者で編成された武者行列で前橋市内を行進、また前橋市臨江閣で漫画部企画の寸劇の上演を行うなど、その自由かつ多彩、相互親愛の姿勢は現在にも受け継がれている。さらに第十八回展(昭和43年)、当時としては画期的ともいえるジュニア部門を新設し、大きさ、点数、年齢制限なしの特色を一層鮮明なものにした。
また第一回より開催されている春季展および秋季展は、会員・準会員・会友並びに受賞者による支部展として、地域の美術文化高揚と啓蒙を図るとともに新人育成を目的とし県内各地で開催をしている。
創立の原点である「相互親愛」と「きびしい自己反省」は普遍であり、平成23年60回記念展を迎え、今後の躍進を目指している。
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